しばらくは、「受けの旅」はできない

2010年6月11日。無事、日本に帰国することができた。

それにしても、だ。飛行機が僕はダメだ。何回乗っても慣れない、怖えぇ。なるべくなら乗りたくないとさえ思っている。毎回、ひとり秘かに祈っている、「無事に着きますように」と。ちょっと、ガタガタ揺れ出すと、そんときは強めに、「頼む!」とやる。本当、みんなもうたうた寝てないで、もっと気を使って欲しい。

祈りが通じたようで、今回もなにごともなく、スムーズな運航だった。よし。

さぁ、世界放浪の旅は終わった。約10ヶ月間だった。その10ヶ月を振り返り、文章にしてちょっとまとめてみようと、ちらっと思うが、たいそうダルい作業になるような気配がするので、やめておく。ただ、1点だけ、強く思うことがあるので、それだけ書いてみようと思う。うす。

僕の今回の旅は、完全に、「受けの旅」であったという件について、だ。

攻めることはほとんどしなかった。自分からアクションを起こすことはほとんどなかった。「誰か」や「何か」に自分から働きかけるということはしなかった。たしかに、積極的にいろいろな「場所」には行った。そして、その「場所」で、向こうからやってくる出来事に対して、反応していた。そういう毎日の連続だった。

別に、「受け」がダメで、「攻め」が良い、と言いたい訳ではなく、とにかくこの10ヶ月間、「受け」な毎日なのであった。だからこそ、まぁ、インプットした量は莫大なものになった。新しいインプットが自分のなかに入ってきて、新しい考え、新しい経験が数多く生成された。

ただ、もうこれ以上、「受けの旅」を続けることはできないと思った。これが旅を終わりにした最大の理由である。これ以上やっても、それはただの、「世界を歩く屍(しかばね)」になるだろうと思い、帰ってきた。例えてみるなら、旅に出る前はカラカラに乾いたスポンジだ。しかし、今は、水のしたたり落ちるスポンジだ。

行きたい場所はまだたくさんある。例えば、中央アジアとか、ヨーロッパとか、アメリカ、カナダとか…だけど、今の状態で行ったとしても、確実にたいして楽しめないだろうと思う。行っても行っても、だらだらと垂れ流してしまうだろう。それは別に海外だけの話ではなく、日本でも同じだ。

僕は日本を旅したことがないので、日本のいろいろな場所に行ってみたいという気持ちはあるが、たぶん、あんまり楽しめないだろうと思う。北海道の大自然、歴史ある京都の街、沖縄の離島の美しいビーチ…たぶん、受け取れない。しばらくは、「受けの旅」はできないだろう。このようなことを強く感じている。

そして、「受け」の反動だろうか、今は、「攻め」たいと思っている。アウトプットだ。「誰か」や「何か」に自分から働きかける、だ。0から1へのアクションだ。この気持ちに蓋をしたら、僕は負けるのだろう。

前のアクションの終わりから、次のアクションのはじまりへの移行期。つまり、着陸のしかたである。今回の旅で出会った最後の旅人とそういう話をした。話しをしていくうちに、偶然だろうか、僕と数多くの共通点があった。彼も以前に、10ヶ月間旅をしていたことがあると言った。「着陸のしかたが大事だよね」と言っていた。僕も、うすうす、着陸のしかたは非常に大事なんだろうな、と感じていた。

今はわりと大事な節目なんだろうな、と思う。

masanoria_336

コメント

  1. ヒダカユウキ より:

    おかえりなさい!!
    東京にいるなら飲みにでもいきましょうよ!!
    おもしろい話聞かせてください

  2. masanoria より:

    > ヒダカさん

    ただいまです。
    今は、とりあえず、実家に居候しています。神奈川の伊勢原です。
    東京も電車で1時間ぐらいですぐ行けますよー。

    今日も渋谷行ってきました。