そのとき、黒い傘が宙を舞っていた

ちなみに、マイソール(Mysore)以降はぐだぐだなバイク旅になってきている。原因はたぶん、もうインドがお腹いっぱいで、これ以上入らないからだと思われる。3,5ヶ月もインドにいる。インドにいること、インドをバイクで駆け抜けることが完全に日常になっている。

インドが日常的すぎて、なにがインドっぽいのかわからなくなってきた。例えば、日本に戻って、友達に「インドどうだった?」と聞かれてもすぐに答えられない。1週間くらいの短期旅行者のほうがその点、「いやー、インドすごかったよ~」的な感じですぐに答えられるんだと思う。

コチ(Kochi)→コーラム(Kollam)→コヴァーラム(Kovalam)と進み、走行距離はそれぞれ168km,87kmだった。

kanyakumari-156km
■ゴールであるインド最南端・カニャークマリ(Kanyakumari)まで、あと156km!

コチからコーラムに向かっていたときの話…

「いやー、疲れたからそろそろ休憩しよう」と思い、そこらへんの道脇にバイクを止め、草むらに、なんかの工事の資材だろうか、コンクリート柱が何本も積み重ねて置いてあったので、そこに腰を下ろした。バッグからミネラルウォーターを取り出し、勢いよく飲み干し、「いやー、疲れたなぁ」なんつって、顔を下に向けているときだった。

「ボンッ」と大きな、そして湿った音が聞こえた。

条件反射的にその音のしたほうへ目をやると、黒い傘が宙を舞っていた。「もしかして?いや、まさか」と思い、すぐにまわりの道路を確かめるも、人の体らしきものは見当たらない。止まるのか、それとも止まらないのか、そんな迷った動きをみせる白いクルマは結局止まらないことを選んだようで、そのまま右方向に走っていった。

インドの道路では、道端でたまにビーチパラソルなんかを立て、何かを売っているようなそんなもの(無人の場合もある)を見かけることがあるが、おそらくそれにでもぶつけて、それによって、あの黒い傘は宙を舞っていたんだろう、と。とりあえずそのように理解することにした。まわりの家の住人が扉を開け、玄関からおそるおそる出てくる。僕は座ったままそういう状況をひとつずつ確認していく。

道路の両サイドは草むらになっていて、僕が座っているのとは逆のサイド、つまり、黒い傘が宙を舞っていた側は窪んでいるようで、高低差があり、座っているこの場所からは見えない。

僕は立ち上がりその場所まで歩いていった。草むらのまんなか部分は池というか泥沼というか、そういう大きな水たまりになっていた。その水たまりを見つめるようにする人がまわりに何人かいたが、彼らがいったい何を見ているのか僕にはわからなかった。「ん?何もないじゃない」。

が、じっと見続けていると草むらのなかに人の足のようなものが見えた。視線を足から徐々に上のほうにあげていくと、服を着た体そして、頭が見える。頭は大きな水たまりにつかるかつかないかの微妙な位置にあった。人がうつぶせになって倒れていたのだ。

ぴくりとも動かなかった。

日常では見かけることのない人の様だった。まるで、草むらにマネキンでも捨ててあるかのような風景だった。即死なのだろう。僕はまわりにいた人に、「Is she dead?」とおそるおそる尋ねた。答えてくれた彼は、「あぁ、死んでるよ」と。僕はもっと深くて重い口調の返答があるだろうと勝手にそう決め込んでいたが、彼の表情や口調に深さや重さはまったくなかった。

次第に人が集まりはじめ、少し経ったころ警察もやってきた。パトカーのなかから担架を取り出し、大の男4,5人がかりでその体を担架に乗せ、パトカーの後部座席へと運んだ。その際、声をかけ意識があるのかないのか確認するようなことはしなかった。

人だかりのなかで、僕はひと目で彼がその女性の息子だとわかった。爆発しそうな感情を必死にこらえているように見えた。すぐ隣では友人だろうか、その彼の手をぎゅっと握りしめている。またしばらくすると救急車も到着し、担架に乗せられた彼女の体はどこかへと運ばれていった。

—。

「ボンッ」と音がする前、彼女は生きていた。
「ボンッ」と音がした後、彼女は死んだ。

生と死の境界線。
それまで何十年と続いていた彼女の人生は、突然にして、幕を閉じたのである。

生きるってなんだろう?死ぬってなんだろう?
人生ってなんだろう?なんで生まれてきたんだろう?

たぶん答えなんてものはないんだと思う。
ただただそこに「生」と「死」が存在しているだけで、他にはなにもないんだと思う。

彼女が運ばれていったあとにも、道路には彼女が持っていたんだろうと思われる手さげが殴りつけたかのように落ちており、そこから白いごはんとおかずのようなものが、ばらまかれ落ちていた。

僕はもうとにかく、なにもかもがわからなかった。ただただ立ち尽くすことしかできなかった。彼女を助けることもできず、犯人を見つけることもできず、その場にいたのになんの役にも立たない自分が情けなくて、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいだった。

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